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広島県の民話

八木梅林物語

広島市安佐南区のお話し。
むかし、むかし、千百五十数年も昔のこと。あの高ぁい阿武山が青葉に包まれる頃、八木の城山の麓の里では、太陽の光をいっぱいうけ、あちこちで田植えの始まる頃のお話しです。
一人のお坊さんが、あぜ道をとぼとぼと八木の里の方へ歩いていました。
「なんと蒸し暑い日じゃのぉ。」
と言いながら、額の汗を拭きながら、道端の一軒の茶店をみつけました。
「チリーン。南無遍照金剛。南無遍照金剛。ちょっと休ませてくだされ。」
店主のよねざえもんは、
「さあ、どうぞどうぞ。こっちが涼しありますけぇ。こっちへ来て休みんさい。」
「ありがとう、ありがとう。今日は随分蒸し暑い日でございますなぁ。」
「お坊様ぁ、こがぁな日はお修行もやりにくぅありましょーのぉ。」
茶屋の主人は湯のみに梅干しを一個入れて、それに番茶を注ぎ、
「お坊様。さぁ、この梅茶ぁ飲みんさい。暑い時ゃあ、これにかぎるけぇ。気分がすーっとしますけぇ。喉の渇きは一遍に止まりますでぇ。」
「これはご厚志かたじけない。ありがたく頂戴いたします。」
お坊様、その梅茶を一口飲まれ、
「ほぉ、この梅茶はとてもおいしい。この梅はどこで採れたものでしょうかな。」
と、お尋ねになった。
「えぇ。この梅は、この辺の土地にできたもんです。」
「そぉかそぉか。この村の土地は梅に最もいい土であろう。ついては、このおいしい梅茶のお礼に、梅の木の一番よく育つ場所を調べてみたいから、ご苦労だが村の土地を案内してくれまいか。」
「へぇへぇ、よろしゅうあります。」
お坊様は店の主人の案内で、付近の土を調べ歩き、あざ、きばらに来て、
「おーおぉ。このところが梅の木にいちっばん適している。この地に梅を栽培するがよかろぉ。」
と言うて、梅の栽培を勧められたげな。そして、
「これは、先ほどおいしくいただいた梅の種。これに植えておく。やがて芽を出し、花が咲き、実がなる。その実は、病や災いを逃れ、この地に繁栄をなすであろう。」
と申され、川内の方へ立ち去られたげな。
「チリーン。チリーン。」
やがてその実は、お坊様の言われたように大きく育ち、見事に花が咲き、そのかぐわしい香りは太田川の土手までも届いたそうな。そして、たくさんの大きく立派な実をつけた。これが八木梅林の始まりです。梅にはカリウム、リン、鉄が含まれていて、ミネラルもいっぱい。実は梅干しをはじめ、梅茶、梅酒、焼き梅干し、梅の実からとる梅エキスまで幅広く人の体にとてもいい効果があります。また、「梅は、その日の難逃れ」とも言われ、旅人が荷物の中に梅干しを持って行ったと文献に残っているそうです。一万坪もの梅林は太田川をむこうにして眺めもよく、春は梅林と言われるようになり、花見や遠足の名所として繁栄したものです。
そののち日清戦争の頃、チフスが大流行した時、軍隊にも薬用の梅として納められました。しかし、第二次大戦の時、この梅林は麦畑や野菜畑とされ、たくさんあった梅の木はだんだん少なくなってしまいました。今は太田川放水路の改修工事などで、その姿をほとんど見ることがありません。ただ、駅や県営住宅に梅林という名が残るだけです。八木小学校の校章、校歌には白梅の花が取り入れられています。
そうそう、このありがたいお坊様は可部の福王寺や、深川の薬師寺をひらかれた弘法大師様だったそうですよぉ。
むかし、けっちりこ。おしまい。

紙芝居サークル
陽だまり
2013年11月26日
近藤由紀子様 朗読
近藤由紀子様
ご協力ありがとうございました。

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