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広島県の民話

えんこうさん

広島市南区に流れる猿猴川の話し。
むかぁし、むかし、猿猴川のほとりに1軒の貧しい漁師の家がありました。そこにお爺さんとお婆さんが仲良く暮らしていましたげな。
ちょうど夏の夜のことでした。お婆さんは夜中に喉が渇いて目を覚まし、流しに水を飲みに起きましたげな。ふと流しの格子の上を見たら、その格子の隙間から毛むくじゃらの長ぁい手が覗いとった。その手がスルスルスルーッと伸びて、お婆さん、腰が抜けんばっかりにたまげた。
「お爺さん、お爺さん、起きてみんさいやぁ。」
「何を夜中に大きな声を出すなら。」
「お爺さん、あれは何でしょうかの。毛むくじゃらの長ぁいものが、手のようじゃが、いなげなほれ、あそこに覗いとりましょう。」
牛蒡のように細長ぁい毛むくじゃらの手の先は、3つ4つの指にわかれ、手は水に濡れてにぶく光っとる。確かに、黒いいなげな手は動きよる。人間の手とはちいと違う。お爺さんはふと、えんこうのことを思い出した。前からこの川にはえんこうが住んどる、ゆうことじゃ。そのえんこうが腹が減ると人間の肝を食う、という言い伝えがありますげな。
「ありゃあ、もしかしたらえんこうの手じゃないかの。わしらの肝を食いに来たんかもしれん。」
「お爺さん、どうすりゃええんですかのぉ。」
お爺さんは月明かりの中にニョキニョキニョキッと伸びる手をじーっと見て、
「まあ、落ち着け落ち着け。まあ、黙ってみとれぇ。そうすりゃ、何がいるんかわかるけぇの。」
誰も見とらん思うたえんこうの手はスルスルスルーッと伸びて、流しの上をすべり、流しに置いてあった鰯の残りをグサッとつかみ、すーっと手を拭いてそれっきり手を出さなかったげな。お爺さんお婆さんはその晩は恐ろしゅうて寝られん。朝になって、格子の隙間に竹を割って打ち付けた。でも、次の晩の夜中になると毛むくじゃらの手がまた伸びてきて、竹のくいも、なぁんの役にも立ちゃあせん。
「お爺さん、いっそのことえんこうに鰯のはらわたぁ、やっちゃあどうですかの。そうすりゃえんこうも喜ぶじゃろうし、わしらも安心して寝られるんじゃがの。」
「それもそうよのぉ。鰯のはらわたぁ、いりゃあせんのじゃけぇの。それにうちらには子がおらんけぇの。あのえんこうを子供じゃ思やええ。」
「ほぉよほぉよ、子供は授かった思やええ。これにこしたことはないわ。」
それで、早速、鰯のはらわたを流しに置いて寝ることにしましたげな。あくる日、はらわたはきれいになかったげな。お爺さんお婆さんは、毎晩毎晩、鰯のはらわたを流しに置いて寝たげな。その夏は猿猴川で泳ぐ子供が1人も溺れんかったそうな。こうして2年経ち3年経ちするうちに夏になるのが待ちどうしゅうなるようになった。あの毛むくじゃらの手を見んと、寂しゅうて寂しゅうて。夏が過ぎて秋になると、すぐ次の夏が気になる。えんこうの話しをする時は何やら気がわこぉなるし、近所の人が、
「あっこの爺さん婆さん、近頃わこぉなりんさったのぉ。」
売る魚も飛びぬけて活きがええ、長持ちするけぇ、高ぁい値でみんながこうてくれる。それから冬にゃぁ、釣れんような魚がお爺さんの釣竿にかかる。いつの間にか、
「あの爺さんは釣りの名人じゃ。魚と話しができるんじゃろうでえ。」
と噂するようになった。それで2人の暮らしも楽になりましたげな。
それから何年も経ちましてのぉ、お爺さんお婆さんも80越すようになっての、それでもまだまだ元気でしたげな。ところが、木の流し台と格子戸が古ぅなってきて、ささくれてとげが出てきた。
「のぉ、婆さんや、こりゃあいけんでぇ。もしえんこうが手を伸ばしてひっかけりゃあ大怪我ぁするでぇ。」
「どぉかの。木を腐らんようにするにゃあ、流しのうちへ、しぃちゅうをはめちゃぁどぉかの。」
「お爺さん、そりゃあええことです。長持ちはしますけぇね。」
真鍮をはめたきれいな流し台が出来ました。いつものように鰯のはらわたを置いて、えんこうを待っていました。ところが、いつまで待っても夜中まで待ってもえんこうは来ません。夜が明けて、東の空に朝日が昇りました。新しく真鍮をはめた流し台がピカーピカーッと光りました。流し台の上には鰯のはらわたがそのままに置いてありました。次の日も次の日も、鰯のはらわたはそのままでした。えんこうは人間の作ったピカッと光るものは恐ろしいものじゃとその頃から知っとったんじゃないでしょうかね?
終わりです。

紙芝居サークル
陽だまり
2013年11月26日
代表 宇佐美節子様 朗読
 代表 宇佐美節子様

ご協力ありがとうございました。     

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